QHHT- Space of Presence

QHHT量子ヒーリング催眠療法士のブログ

肉体を脱ぎ捨てる時

今年1月末。
四国に住む義父が、インフルエンザからの肺炎を併発。
緊急入院しました。

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【2018.2月:梅の香りに誘われてパチリ】
 
知らせを聞いて直ぐ、
私たちは広島から橋経由で行くつもりで
福岡から車を走らせていました。
 
途中、調子が悪くなっているので、
もしかすると...の二報が入ります。
 
急遽、山口県から車ごとフェリーにのり、
私たちは松山入りしました。
 
本日は、超私的なお話です。
〜親友に宛てたメールの中から一部抜粋〜
 

 

真夜中前に病院へと到着。
父は持ち直してくれていました。 
そのまま病院へ泊まり込む日々が始まります。
 (病院近くにホテルをとり、
 昼間は主人。夜は私が付き添いました)
 
 
途中、症状も目にみえてよくなり
食事も出来るようになりました。
このまま回復するかに見えましたが、
再び熱があがり、痰が自分で吐き出せなくなりました。
 
何度も何度も吸引し、事なきを得ましたが、
2月◎日の真夜中。父は帰らぬ人となりました。
 
 
 
(中略)
 
 
意識がなくなる少し前、
酸素マスクを外して義父は私にこう言いました。
 
『どこにいても見守っている』
『どんなところにいても、いつだって私がついている』
『幸せにいてくれ』 
 
と。
 
_________________
 
入院してから逝ってしまうまで、
ほぼ毎日、義父の全身マッサージをさせていただきました。
(主治医はいつでもしてあげてと許可をくれました)
 
とても気持ちがいいと義父は喜んでくれました。
 
そう言う、義父の枕もとにある
血中の酸素濃度の数値があがるのが見てとれました。
 
マッサージは、人の気持ちだけでなく
血液の中の酸素もあげるんだと思いました。
もっともっと皆さんにマッサージをしてあげたいと思いました。
 
__________________
 
病院で義父と過ごした2週間は、
私にとってかけがえのない宝物の時間となりました。
日本に戻ってきて良かったことの一つです。
 
ずっと酸素マスクつけていたので
聞き取れなかったこともたくさんあったけど、
最後にいっぱい誰よりも話しをしたと思います。
 
 
 
意識がほぼなくなり、
急激に脈拍も正常値の半分以下になりました。
 

家族を呼んでくださいと看護士さんに言われ、

心臓の音がとても大きく全身に響きました。

病院前のホテルに居た主人は直ぐ駆けつけてくれました。

 
義母と義母をつれてきてくれる孫は、
知らせを受けてから約50分後に駆けつけました。
 
何度も脈拍がゼロ近くになりました。
 
「いま、お母さんくるからね!
 お父さん、まだ逝かないで!
 もうちょっと待って!」
 
そう、お父さんの耳元で何度も呼びかけました。
 
意識がないはずなのに、
そこだけ、ウンウンって 父は頷きます。
 
 
「お父さん!もうちょっと待って!」
 
そう言うと、
『ウンウン』 って
 
そこだけ しっかり首をふる父に、

”凄いな〜お父さん”
 
”凄いよ〜!”
 
尊敬の念が溢れまくります。
 
 
 
脈拍も、”30〜0”になりかけては
ぐぐっと戻ります。
 
 
何度も何度も、
『もう少し待って!もうちょっとだから!』
 
父は何度も頷いて、
まさに義母が駆けつけるまで頑張ってくれました。
 
 
母が父の手をとり、握りあった数分後、
父は逝ってしまいました
 
ウンウンと頷いてくれた父。
母が到着するまで待っていてくれた父。
ただただ ”ありがとう” の 言葉しか ありません。
 
_____________________
 
ことし2月。義父が他界しました。
昨年末に実家の母が背骨を圧迫骨折し、
春過ぎに義母が大腿骨骨折。
(二人ともリハビリ快復中〜(^_-))
その少し前に兄弟の大病などもあり、
このところ2年後しで、
九州〜中国〜四国をグルグル何周したことでしょう(^_^;)...
 
都度、ご予約くださっていたClientの皆さまには
日程を変更していただき、誠にありがとうございました。
また、ご迷惑をおかけしましたことを
改めて(心からのお礼と)お詫びを申し上げます。
 
 
義父は、とても几帳面な人でした。
私が主人と一緒になったことをとても喜んでくれた一人です。
ロサンゼルスに居る私たち(結婚後、L.A.に住んでおりました)、
週一ペースで手紙(FAX)をくれました。
私と義父のやりとりした手紙を重ねると、
みかん箱3箱分くらいの厚みがありました。
 
彼が逝くと決めた2〜3日前だったと思います。
義父は、ヒューヒューと肺から漏れるような音とともに
声をふりしぼりながら、
『チカさんがどこに居ても、必ず上の方から見守っているから』と
そう、言ってくれました。
 
義父と肉体を脱ぎ捨てた後にどこへ行くかとか
そんな話はしたことはありません。
でも、彼は、どこへ行くのかちゃんと
知っていたのかもしれませんね。
 
義父は、最後の最後まで、
皆のことを気づかいながら生ききることの大切さを
私に教えてくれました。
 
命の儚さと生ききることの大事さを
教えてくれた方でした。
 
私は、縁あって主人と一緒になりました。
彼と出会えたこと、
そして、彼がここに居るルーツである父と母にも
感謝と縁を感じます。
 
私たちは、皆で支え合って生きてるのだと感じます。
持ちつ持たれつでいいと思うんです。
 
皆で甘えあって支え合って
そうして生きていいって思うんです。
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それにしても...
肉体がただ見えなくなっただけなのだと思っても
人との別れは毎回寂しいものです。